第3話 まずはハローワークへGO!
怒涛の引っ越しを終え、休む間もなくまずは市役所で住民票や、健康保険、年金の手続きを行いました。その他、クレジットカード会社やプロバイダ、警察署(免許証)郵便局や銀行(通帳)等にも住所変更を行いました。
まあ大変ですね、地元はかなりの田舎なので、渋滞もないし、役所の混雑もないので、その点では地元に戻って良かったと感じましたよ。
そして、まだ何をするのか決めていなかったので、離職証明書を持ってハローワークへ。
脱サラ起業の場合でも失業保険の給付が受けられるのか聞いた所、まだ事業の準備を始める段階だったら、色々と条件があったり、手順が複雑ですが「再就職手当」の受給が可能との事でした(残日数2/3で基本手当の60%)。
基本手当の60%になってしまいますが、一括で振り込まれますので、これがお金が無い無職状態の時期に非常に助かりました、ぜひ条件が合う方は利用してください。
一連の流れをお教えいたします
1. 退職(会社から離職票をもらう)
2.ハローワーク(1回目)へ登録
離職票を持参し、求職申込書の記入・提出・登録
3.待機期間(7日間)
「雇用保険受給者資格証」と「失業認定申告書」をもらう
5.ハローワーク(3回目)で初回講習を受ける
就職活動の説明があります
これが求職活動1回目になります
6.ハローワーク(4回目)初めての認定日
初回講習を受けているので認定されます
この時も求人検索等を行う(求職活動2回目)
7.上の3の待機期間から1ヵ月が経過するのを待つ
8.ハローワーク(5回目)で起業の意思を伝える
窓口で再就職手当の申請を行う
9.起業の準備を開始
開業届や会社設立を行う
10.ハローワーク(6回目)で再就職手当を申し込む
開業届や、事業内容を証明する物を提出し、審査を待ちます
11.再就職手当支給
という流れになりますので、もうかなりの長期戦になります。
ワタクシの場合は個人事業主でしたので、約2か月でしたが、法人を設立される方はもっと時間がかかると思いますので、参考にして計画を立ててみてください。
もちろんハローワークに行く前に開業していると、受給出来ませんので注意が必要です。
~次は融資を受ける話です~
第2話 怒涛の引っ越し
2015年7月31日、正式に退職となりました。
健康保険証を返却し、経理の子へ新居の住所を伝え、職場の元同僚の皆さんに挨拶を済ませました。
健康保険証を返却しなければならないので、小さい子供も2人いることから不安でしたが、後日引っ越し先の市役所に行くと、2年間だけ社会保険の任意継続という制度があるそう。これだと今までの社会保険を、退職しても継続できます。
てっきり退職したら必ず「国民健康保険」になると思っていましたが、市役所の窓口の方が親切で、国保の場合の金額の計算をしてくれて、無職には恐ろしく高い金額だったので、この「任意継続」という制度がある事を教えてくれました。
これは全く知らなかった事なので、非常に助かりましたね。
月1万5千円くらい違ったと思います。
*脱サラをお考えの方は、この「任意継続」という制度、覚えておいてくださいね。
注意店としては、期限が短いです。
私はこの制度を知らなかったので、引っ越した後に手続きをしたので、期限ギリギリになってしまいましたので、保険証を返却する前から手続きを始めれば良いと思います。
で、今回のテーマの引っ越しです。
1週間前に、地元で住居と事務所用の物件を契約しました。
ネットで予め目星をつけていた物件が、実際に内覧すると、色々と「アカン!」って事になり、急遽2日間で市内の物件を見て回りました。
時間が無かった為、急いで決めたのですが、とてもラッキーな事に今考えてみても、この物件選びは結果的には良かったかなと思います。
なので、物件選びは時間に余裕をもって行いましょう!
しかしまあ2軒借りると初期費用だけでも凄い金額です。
退職金ってすぐ貰えると思って当てにしてましたが、支給されるまでに1か月半くらいかかったので金銭的に厳しい状況でした。
なので、引っ越しはお金をかけずにやりたい!と、自力でやりました。
250km程離れているので、業者さんに頼むと結構高いと思います。
もはやワタクシは見積もりさえ取っていませんが。
そこで、少しでも安く!と体を張る事に。
レンタカーで2tロングのトラックを借りました、100ccバイクでお店へ。
しかし箱車が予約が取れず、なんと平ボディです!
持ち物はほとんど捨てましたが、ベッド、冷蔵庫、テーブル、洗濯機、テレビ、食器棚、等の大物だけでもかなりのスペースを取られましたので、もう荷台は凄い事になってます。
やっぱり冷蔵庫を2階から降ろすのが一番大変でした。今まで使った事がない力を出し、真夏だったこともあり、熱中症みたいになってしまったのです。
しかし、そんなことは言ってられないので、小物を積み、自家用車にもパンパンに積込み、自家用車は妻に運転してもらい、私はトラックで、夜中の高速道路を。
高速に乗ったのが0時頃、3時頃には熱中症の為が、高熱が出てしまい、サービスエリアで仮眠をとり、なんとか朝7時頃に地元の新居へ到着。
荷物を降ろし、すぐさまレンタカーを返却に戻ります。
この時になると、意外な事に元気が復活していました。
高速道路も快適に進み、お昼頃、レンタカーのトラックを無事に返却しました。
残すは、レンタカー屋の駐輪場に佇む100ccのバイクだけです。
そうです、一番の難関です。
真夏の炎天下の中なのに、高熱でプルプル震えながら、高速道路に乗れないので、ひたすら下道を走りました。
結局、新居に到着したのが深夜11時頃。
こんな一見苦行である一連の引っ越しも、サラリーマンから解放された気持ち良さで楽しかった思い出。
もう二度とやりたくないけどね。
こんな感じで始まった脱サラ生活1日目でした。
~つづく~
【 ネットショップ開業日記:第1話 】 2015年7月 ブラック企業を退職→そして脱サラへ
はい、まずは勤務先を退職したお話から。
私は、大学卒業後、新卒で入社し、約10年勤めていました。
全国に支店がある会社だったので、転勤も経験し、色々な土地で生活し、たくさんの人たちと出会えたことは良い思い出です。
そして、私はその会社で我武者羅に働く毎日を過ごしていました。
古い体質の組織に長くいると、世間が見えなくなってしまうんでしょうね、子供も2人いましたが、朝7時には出勤し、夜11時頃まで働いて、「誰よりも早く出世してやるぞ~」などど思っていました。
その会社は業界1.2.3を争う超安定企業でしたので、その点では良かったのですが、どうしても古い体質だけは変わりそうもなく、頑張っても頑張らなくても給料はほとんど変わらない事や、出世すればするほど休日も無くなっていき躁鬱状態になった支店長を見て、「ここから抜け出そう」と決心しました。
そして、2014年12月、ついに支店長へ退職願を出します。
この時はまだ次の仕事など何も考えていませんでした、ボーナス前でしたがそんな事も気にせず、ただ早くこの会社を辞めたい一心で。
初めて退職願を出したのですが、まさかこんな展開になるとは。
なんと支店長の必死の引き止めにあいました。
しまいには支店長泣いてるし。
朝8時前に提出し、それからずっと2人きりで応接室、で終わったのが15時。
撤回しないと死ぬ、などど泣かれ、私はこの会社の改善してほしい所を伝え、それを半年間待ちます、という形で終わりました。
そして半年後の5月のGWが明けてすぐ。
2度目の退職願を提出し、一瞬で受理されたのでした。
その後、当日に300km離れた所から取締役が来たり、専務から電話を頂いたり、転勤前の勤務地の支店長から電話を頂いたり、すさまじい数の引き止めを頂きがらも無事退職する事が出来ました。
6月中旬から7月末までは有休消化、となり、7月のボーナスも振り込まれました。
退職金も10年近くいたので結構貰えましたので、いい会社だったんでしょうね。
まだこの時点では何をやるか決めていません。
勤務地は地元とは遠く離れた場所でしたので、7月31日で正式に退職となったら引っ越しをしなければならないので、この有休消化の時期は、物件選びと、図書館で色々な本を読んだり、筋トレしたりと充実した毎日を過ごしました。
この筋トレ、3月から始めて、体重が83kgから67kgになりました。
これもいずれ詳しく書きたいと思います。
【ネットショップ開業日記】このブログについて
早いもので2017年も3月が終わろうとしています。
このブログを始めた理由は、
2015年7月に大学卒業後10年間勤めた会社を退職し、
2015年8月に今までの勤務先から地元へ引っ越し、
2015年9月に日本政策金融公庫からの融資を受け、
2015年10月に仕入先の開拓で色々あり、
2015年11月に始めようとした事業を諦め、
2015年12月に方向転換を考え、
2016年1月から1人でネットショップを開業し、
2017年3月現在、1人でネットショップ運営中の私が、
「これからネットショップを開業したい」という人や、
「脱サラして何かやりたい」という人へ向けて、
これま私の体験を役立ててもらえればと思い始めました。
せっかく脱サラして周りの友達と違う事をしているので、
自分自身の記録用としてもおもしろいかな~と思ってます。
やっぱりサラリーマン時代とは「濃さ」が違います。
あと、1人でやってるので、話す相手もおらず、色々と何かがどこかで溜まっているのかもしれません。
本当に昼間会話するのが、配達に来てくれる佐川のおじちゃんと、集荷に来てくれる郵便局の若者だけなので。
そんなさみしい気持ちを乗せて、これから書いていきます。