第7話 開業準備に仕入先開拓
無事融資を受ける事が出来たので、本格的に開業準備を進める事が出来ました。
やりたい事業は、融資を受ける際に事業計画書を作りながら考えたのですが、BtoBで、どの街にも「昔からある古い業種」に狙いを定めました。
前職で10年間携わりましたが、在籍した10年間で業界は全く進んでいないように感じたのです。世の中では、10年間でガラケーからスマホになったり、インターネットビジネスやユーチューバーなど出現し大きく変化しているというのに、10年間全く同じ事をして時間が流れていました。
このまま時代に置いてけぼりにされるのは嫌だなぁ~と思いながら仕事をしてました。
将来的には廃れていく業界だと思いながらも、まだまだ市場規模は凄く大きいし、どの会社も新しい事をやらないので、自分でやってやろう!と思ったわけです。
そこで、まずはネットショップ用のホームページを外注で作成しました。
ネット通販ではなく、BtoBなのですが、それはもう古い業界なので、電話での見積もり依頼が多い多い!今の時代に毎回毎回ちょっとした事で電話ばっかりしていたら効率も悪いし経費もかかります。
そこで、自社のカタログ用として、ネット上で商品の価格を全て見てもらえるようにしました。もちろん一般では見れないように会員制にしました。動画のコンテンツなんかも作りました。
そして名刺も作成して、いよいよ仕入先の開拓です。
大手の卸商社へお願いに行くわけですが、この業界では10社ほどあります。
10社で扱う品目などが異なりますので、大体3~5社に取り引きをしてもらえれば品揃えの面では立派なお店になります。
そこで、狙いを定めた5社へ事業計画書を持って、前回の面談のようにバシッと決めてやろうと挨拶回りに出発しました。
しかし、ここから古い業界の逆襲にあうのでした。
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第6話 公庫面談・結果発表まで
いよいよ1対1の面談です。
担当の方は、私より少し年上で40歳くらいの男性でした。
圧迫面接のような感じを想像していましたが、結構事務的に進みました。
面談にあたり私が気を付けていたのは、
1.嘘をつかない
2.落ち着いて冷静に聞かれた事だけ答える
以上、たった2点でしたが、この2点が本当に重要だと思います
1.「嘘をつかない」について例をあげると、
面談の中で、「事業計画書は誰が作りましたか?」という質問を受けましたが、
「商工会議所のN氏に作ってもらいました」と答えました。
事業計画書については、以前にも書きましたが、
ベースは私が作りましたが、専門用語が多すぎて普通の人が見てもわからないからと、修正して仕上げてくれたのはN氏です。
恐らく公庫の担当の方は、それを知っていて質問していると思います。
面談の中で、知っていて質問している事が何度もあると思います。
融資をしても問題ない人間かどうか、信用できるかどうか、それを見ていると思いますので、どんなに小さな嘘をつかない事が一番大事な事です。
2.「落ち着いて冷静に聞かれた事だけに答える」についても、
この面談は結構事務的な感じで進みます。
担当者も無駄な話は聞きたくないし、面談時間も限られています。
あまり喋りすぎると、空回りしてボロも出ます。
聞かれた事に、要点をまとめて答える、という事が大事です。
事業内容や収支予想については、以前の会社で10年勤務しており、
同じ業界だった事もあり、深くつっこまれる事はありませんでした。
事業計画の中で、1点「運転資金」が少ないかも、と言われましたので、
車両購入するつもりの金額を運転資金へ移動させて、もっと安い中古車にするか、自家用車を使用したほうが良いでしょう、というアドバイスを頂きました。
そこで、「わかりました」と答えた所で、担当の方から「今回は融資させて頂く方向で考えていますので、よろしくお願いします」という言葉を頂きました。
返済については、「月の返済額はどのくらいが良いですか?」と聞かれ、
7万くらいで答えましたので、7年間という形になりました。
半年間は利息だけの返済で、半年後から返済開始という形にして頂きました。
時間にして1時間弱だったと思いますが、面談後は非常に充実感と希望に満ち溢れていましたねぇ(遠い目)
これから創業融資を受けたい方へ私の事例で見ると
・商工会議所を通して申し込みを行った
・以前の会社に長く勤務している方が良い(6年以上)
・6年以上携わった業界での起業だと有利
・税金等の滞納がない事
・自己資金が1/2以上ある事(怪しいお金の流れがない事)
・面談で嘘をつかない事
結果として、上の6つの項目で私はクリアする事が出来ましたので、
条件が近い方は参考にしてください。
やはり、まず商工会議所へ相談へ行くという事が融資を受ける為の近道になるのではないかと思います。
私も、融資が振り込まれた時に「N氏」を誘い借金で飲みに行きました。
起業をお考えの皆様、ぜひ、これを参考に挑戦してみてください。
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第5話 融資を受ける その2 いざ日本政策金融公庫の面接
N氏の手により生まれ変わった事業計画書が出来ました。
次は日本政策金融公庫の面接の申し込みです。
N氏によると、今回利用するのは、「中小企業経営力強化資金」という制度だそうです。
てっきり「新規開業資金」だと思っていましたが、違いました。
この「中小企業経営力強化資金」の要件については以下になります。
利用できるのは、次のすべてに当てはまる方
- 経営革新又は異分野の中小企業と連携した新事業分野の開拓等により市場の創出・開拓(新規開業を行う場合を含む。)を行おうとする方
- 自ら事業計画の策定を行い、中小企業等経営強化法に定める認定経営革新等支援機関による指導及び助言を受けている方
1.については、そのままですね。今回は新規開業ですので、大丈夫です。
2.については、商工会議所を通しているのでOKです。
そして、この「中小企業経営力強化資金」の凄いのは、
■無担保・無保証人(2,000万円まで)
■低金利
■自己資金要件なし
という所です!
まず、2,000万円まで「無担保・無保証人」で受けられるという事ですが、ワタクシは530万円で申請しました。
ただし、審査のうえで保証人を立てればなんとかOKです、というような状況になる事はあると思います。
金利も1.3%と非常に安いです。はい、とても安いです。
自己資金要件なし、については、そんなに甘くないです。
やはり自己資金は厳しくチェック(通帳は全てコピーをとられます)されますし、融資の判断の大きなウェイトを占めると思います。最低でも融資額の1/3以上、1/2以上あれば安心ですね。
ワタクシの場合は預金がギリギリ1/3でした。
それに加えて、既に使用した金額がわかるように、契約した事務所の初期費用や家賃の領収書、ホームページ制作費や、開業準備で購入したパソコン2台やプリンター、FAX、電話、エアコン等の領収書を提出しました。
融資の審査で一番の不安は、自己資金の割合でしたので、既に使用した分はしっかりと提出しました。
私のような脱サラ起業での場合ですが、前の会社に長く勤務していることは審査の上で重要になると思います。ワタクシは新卒から10年勤めていましたし、広い範囲で言えば同じ業界での起業でしたので、面談での事業内容の説明等は全く不安はありませんでした。落ちるとすれば自己資金、そう思っていました。
そして、申し込み用紙に記入し、面接は1週間後、地元の商工会議所という事になりました。これも商工会議所を利用するメリットですね!
面接は日本政策金融公庫であるもの、と思っていましたので、何回も足を運んでいる完全にホームである商工会議所で受ける事が出来るという、心の余裕が出来た事は非常に良かったと思います。
いよいよ面接当日、時間の30分前に到着しました。
いつもはTシャツに短パンでしたが、気合のスーツです!
N氏も笑っています。
いつも商工会議所では、外の喫煙所でN氏と煙草を吸いながら話していたのですが、この時も一服中、ちょうど面接の担当者さんが来られて、面接前に3人で煙草を吸って談笑し、緊張も無くなりました。
やはりホームのアドバンテージは大きいです!
そして、いよいよ1対1の運命を懸けた面接が始まりました。
~次回、面接の内容と結果発表~
第4話 融資を受ける その1 はじめての商工会議所
前回の記事で、再就職手当の支給までは順調に進みました。
さあ、次はいよいよ事業資金を借りようという話です。
脱サラしたばかりで、最初の試練、プレッシャーもあり、サラリーマン時代では得る事が出来ない、本当に良い経験でした。
この融資ですが、自己資金がたくさんある方は融資を受ける必要ないと思いますが、転勤族で妻子持ち(こども2人とも保育園通いの)32歳のサラリーマンでは融資を受けなければ開業など出来ません。
また、今はひとりネットショップですが、最初は店舗型で卸売業を開業する予定でしたので、融資は絶対に必要だったのです。
もう融資が受けられなければそこで試合終了ですから、慎重に計画的に進めなければなりません。
色々調べた結果、創業時の融資を受けるには「日本政策金融公庫」が良いという結論に。しかし、ワタクシが住む田舎から最寄りの「日本政策金融公庫」までは車で2時間近くかかります。これからちょくちょくいく事になるのであれば、キツイ距離です。
そこで、ワタクシがまずしたことは、
地元の商工会議所という所が「日本政策金融公庫」と繋がっているらしい、との事で電話で「創業融資」について問い合わせました。朝9時。
すると、電話に出てくれた若い感じの良い男性が、一瞬まじかよ的な空気を出しながらも、「いつでも大丈夫なのでお気軽に相談に来てください」的な返事が!
電話を切ってすぐに行きました。期待に胸を膨らませて。
到着すると、なにやら所員の人達が心なしかざわついています。「お前行けよ」「いやいや、お願いしますよ!」的な押し問答の末、「ええー、俺かよー(笑)」などと言いながら、中年男性が。
「じゃあ、こっちにどうぞ」などと言われ、なんじゃこりゃ!と思いながら仕切りのあるテーブルへ案内されました。なんかワイシャツの胸ポケットに裸で千円入ってました。
昼ごはん代らしいです。
もう完全にこっちも警戒しました。
しかし、当然向こうも警戒しています。
こんな田舎で、いきなり創業融資を!って乗り込んで来てますからね。
それで、一応作った事業計画書で事業を説明し、「ふーん、本当にやるのー?」「それで儲かるの?」などと警戒心満々で言われましたが、「本気だったらメールで事業計画書と、もっと詳しい資料を送って」と言われ、この時は連絡先を交換して帰りました。
時間にして10〜15分ほどだったと思います。
最初の所員の人達の押し問答や、担当のN氏の反応が微妙だった事、何と言ってもN氏は非常に高圧的だったこともあり、ここに任せていいものか不安でしたが、ワタクシに残された道はN氏を信じて突き進むしかない!と決意し、事業計画書の改訂版と、現在の業界の事をまとめた資料と、その中で自分が狙う市場や改革したい部分を纏めた資料をメールで送ったのでした。
それから1週間くらいしてN氏から連絡をもらい、再度商工会議所を訪問しました。
N氏が出てきます。
「ほれ!」と資料を渡されました。
見てみると、ワタクシが送った資料を纏めた素晴らしい事業計画書をN氏が作ってくれていました!
〜つづく〜
第3話 まずはハローワークへGO!
怒涛の引っ越しを終え、休む間もなくまずは市役所で住民票や、健康保険、年金の手続きを行いました。その他、クレジットカード会社やプロバイダ、警察署(免許証)郵便局や銀行(通帳)等にも住所変更を行いました。
まあ大変ですね、地元はかなりの田舎なので、渋滞もないし、役所の混雑もないので、その点では地元に戻って良かったと感じましたよ。
そして、まだ何をするのか決めていなかったので、離職証明書を持ってハローワークへ。
脱サラ起業の場合でも失業保険の給付が受けられるのか聞いた所、まだ事業の準備を始める段階だったら、色々と条件があったり、手順が複雑ですが「再就職手当」の受給が可能との事でした(残日数2/3で基本手当の60%)。
基本手当の60%になってしまいますが、一括で振り込まれますので、これがお金が無い無職状態の時期に非常に助かりました、ぜひ条件が合う方は利用してください。
一連の流れをお教えいたします
1. 退職(会社から離職票をもらう)
2.ハローワーク(1回目)へ登録
離職票を持参し、求職申込書の記入・提出・登録
3.待機期間(7日間)
「雇用保険受給者資格証」と「失業認定申告書」をもらう
5.ハローワーク(3回目)で初回講習を受ける
就職活動の説明があります
これが求職活動1回目になります
6.ハローワーク(4回目)初めての認定日
初回講習を受けているので認定されます
この時も求人検索等を行う(求職活動2回目)
7.上の3の待機期間から1ヵ月が経過するのを待つ
8.ハローワーク(5回目)で起業の意思を伝える
窓口で再就職手当の申請を行う
9.起業の準備を開始
開業届や会社設立を行う
10.ハローワーク(6回目)で再就職手当を申し込む
開業届や、事業内容を証明する物を提出し、審査を待ちます
11.再就職手当支給
という流れになりますので、もうかなりの長期戦になります。
ワタクシの場合は個人事業主でしたので、約2か月でしたが、法人を設立される方はもっと時間がかかると思いますので、参考にして計画を立ててみてください。
もちろんハローワークに行く前に開業していると、受給出来ませんので注意が必要です。
~次は融資を受ける話です~
第2話 怒涛の引っ越し
2015年7月31日、正式に退職となりました。
健康保険証を返却し、経理の子へ新居の住所を伝え、職場の元同僚の皆さんに挨拶を済ませました。
健康保険証を返却しなければならないので、小さい子供も2人いることから不安でしたが、後日引っ越し先の市役所に行くと、2年間だけ社会保険の任意継続という制度があるそう。これだと今までの社会保険を、退職しても継続できます。
てっきり退職したら必ず「国民健康保険」になると思っていましたが、市役所の窓口の方が親切で、国保の場合の金額の計算をしてくれて、無職には恐ろしく高い金額だったので、この「任意継続」という制度がある事を教えてくれました。
これは全く知らなかった事なので、非常に助かりましたね。
月1万5千円くらい違ったと思います。
*脱サラをお考えの方は、この「任意継続」という制度、覚えておいてくださいね。
注意店としては、期限が短いです。
私はこの制度を知らなかったので、引っ越した後に手続きをしたので、期限ギリギリになってしまいましたので、保険証を返却する前から手続きを始めれば良いと思います。
で、今回のテーマの引っ越しです。
1週間前に、地元で住居と事務所用の物件を契約しました。
ネットで予め目星をつけていた物件が、実際に内覧すると、色々と「アカン!」って事になり、急遽2日間で市内の物件を見て回りました。
時間が無かった為、急いで決めたのですが、とてもラッキーな事に今考えてみても、この物件選びは結果的には良かったかなと思います。
なので、物件選びは時間に余裕をもって行いましょう!
しかしまあ2軒借りると初期費用だけでも凄い金額です。
退職金ってすぐ貰えると思って当てにしてましたが、支給されるまでに1か月半くらいかかったので金銭的に厳しい状況でした。
なので、引っ越しはお金をかけずにやりたい!と、自力でやりました。
250km程離れているので、業者さんに頼むと結構高いと思います。
もはやワタクシは見積もりさえ取っていませんが。
そこで、少しでも安く!と体を張る事に。
レンタカーで2tロングのトラックを借りました、100ccバイクでお店へ。
しかし箱車が予約が取れず、なんと平ボディです!
持ち物はほとんど捨てましたが、ベッド、冷蔵庫、テーブル、洗濯機、テレビ、食器棚、等の大物だけでもかなりのスペースを取られましたので、もう荷台は凄い事になってます。
やっぱり冷蔵庫を2階から降ろすのが一番大変でした。今まで使った事がない力を出し、真夏だったこともあり、熱中症みたいになってしまったのです。
しかし、そんなことは言ってられないので、小物を積み、自家用車にもパンパンに積込み、自家用車は妻に運転してもらい、私はトラックで、夜中の高速道路を。
高速に乗ったのが0時頃、3時頃には熱中症の為が、高熱が出てしまい、サービスエリアで仮眠をとり、なんとか朝7時頃に地元の新居へ到着。
荷物を降ろし、すぐさまレンタカーを返却に戻ります。
この時になると、意外な事に元気が復活していました。
高速道路も快適に進み、お昼頃、レンタカーのトラックを無事に返却しました。
残すは、レンタカー屋の駐輪場に佇む100ccのバイクだけです。
そうです、一番の難関です。
真夏の炎天下の中なのに、高熱でプルプル震えながら、高速道路に乗れないので、ひたすら下道を走りました。
結局、新居に到着したのが深夜11時頃。
こんな一見苦行である一連の引っ越しも、サラリーマンから解放された気持ち良さで楽しかった思い出。
もう二度とやりたくないけどね。
こんな感じで始まった脱サラ生活1日目でした。
~つづく~
【 ネットショップ開業日記:第1話 】 2015年7月 ブラック企業を退職→そして脱サラへ
はい、まずは勤務先を退職したお話から。
私は、大学卒業後、新卒で入社し、約10年勤めていました。
全国に支店がある会社だったので、転勤も経験し、色々な土地で生活し、たくさんの人たちと出会えたことは良い思い出です。
そして、私はその会社で我武者羅に働く毎日を過ごしていました。
古い体質の組織に長くいると、世間が見えなくなってしまうんでしょうね、子供も2人いましたが、朝7時には出勤し、夜11時頃まで働いて、「誰よりも早く出世してやるぞ~」などど思っていました。
その会社は業界1.2.3を争う超安定企業でしたので、その点では良かったのですが、どうしても古い体質だけは変わりそうもなく、頑張っても頑張らなくても給料はほとんど変わらない事や、出世すればするほど休日も無くなっていき躁鬱状態になった支店長を見て、「ここから抜け出そう」と決心しました。
そして、2014年12月、ついに支店長へ退職願を出します。
この時はまだ次の仕事など何も考えていませんでした、ボーナス前でしたがそんな事も気にせず、ただ早くこの会社を辞めたい一心で。
初めて退職願を出したのですが、まさかこんな展開になるとは。
なんと支店長の必死の引き止めにあいました。
しまいには支店長泣いてるし。
朝8時前に提出し、それからずっと2人きりで応接室、で終わったのが15時。
撤回しないと死ぬ、などど泣かれ、私はこの会社の改善してほしい所を伝え、それを半年間待ちます、という形で終わりました。
そして半年後の5月のGWが明けてすぐ。
2度目の退職願を提出し、一瞬で受理されたのでした。
その後、当日に300km離れた所から取締役が来たり、専務から電話を頂いたり、転勤前の勤務地の支店長から電話を頂いたり、すさまじい数の引き止めを頂きがらも無事退職する事が出来ました。
6月中旬から7月末までは有休消化、となり、7月のボーナスも振り込まれました。
退職金も10年近くいたので結構貰えましたので、いい会社だったんでしょうね。
まだこの時点では何をやるか決めていません。
勤務地は地元とは遠く離れた場所でしたので、7月31日で正式に退職となったら引っ越しをしなければならないので、この有休消化の時期は、物件選びと、図書館で色々な本を読んだり、筋トレしたりと充実した毎日を過ごしました。
この筋トレ、3月から始めて、体重が83kgから67kgになりました。
これもいずれ詳しく書きたいと思います。